有名店から専門店まで、日本の食材、韓国の食材、鮮魚から服飾品までバラエティー豊かな、興味をそそる商品がたくさん「てんこ盛り」です。
昔懐かしい駄菓子や玩具の卸売りや、韓国食材専門店、カラフルなチマチョゴリ専門店やチヂミ、キンパ(韓国の海苔巻)、韓国アイドルグッズ店(ヨン様など)など鶴橋しかないお店もたくさんあります。
ランチやデザートも、有名な焼肉店やお好み焼き店、大盛りのまぐろ丼、キムチサンドの喫茶店や超特大パフェのある喫茶店などよりどりみどり。
迷路のように入り組んだ道なので、迷ってしまいそうな方や、鶴橋にいってみたいけど分からない方など鶴橋に興味がある方、私が「鶴橋」をご案内させて頂きます。
古きよき時代の空気や、掘り出し物や、美味しいものが必ず手に入ります。
お気軽にお問い合わせ頂ければ、日時の打合せ等させて頂きます。
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我が浜弥鰹節の拠点である、大阪は鶴橋。
鶴橋といえば全国的に有名な(?)キムチの町・焼肉の町・・・・いやいや、それだけではありません。
そもそもなぜ「鶴橋」とう地名なのか。そして「鶴橋市場」はどんなところなのか。
その歴史やマメ知識など、「鶴橋」にまつわるエトセトラ・・・をご紹介します。
それはまさに,、THE鶴橋ワールド。 ディープな大阪を発見できます。
早速あなたを、大阪鶴橋ワールドにご案内致しましょう。
『鶴橋』はかの有名な大阪城から続く、上町台地の南東側に位置します。
昔より大和~難波を繋ぐ交通の要衝であり、旧平野川に架かる橋の近くに鶴ががたくさん集まってきたということからその地を「鶴橋」と呼ぶようになりました。仁徳天皇が架けたと伝えられる、日本最初の橋「鶴の橋」に由来します。
当然ですが、今は「鶴」は見当たりません・・・・
鶴橋という地名の由来はこういう事だったんですねぇ。続いてはいよいよ鶴橋ワールドに足を踏み入れます。
鶴橋ってどこにあるのか?そして鶴橋には市場があります。そここそが鶴橋ワンダーランド。活気溢れる人情の町なのです。
大阪市の東部(大阪城から南へ車で10分くらいです)
JR大阪環状線と近鉄大阪線と地下鉄千日前線 の3つが接続するので乗り換え客が多いところです。奈良と大阪を繋ぎ、伊勢方面や名古屋方面にも行く時には便利なところです。駅にいるだけで感じる「焼肉」のにおい 駅を降りてすぐのところに焼肉屋が密集しているからです。。。あまり知られていませんが、駅から南東部に迷路のような複雑な区画をもった商店街・市場が広がっています。
大阪に住んでいる方でも「鶴橋に市場がある」ことを知っている方は少なくなってきました。
約300mm四方の敷地の中に、ななっなんと店舗数は700軒あまり。服飾雑貨から食料品全般にわたる幅広い業種の商業空間が広がっています。韓国のチマチョゴリから鮮魚・野菜・厨房器具・うなぎ・キムチ・鰹節・・・・・あげればきりがありません。。。プロ向けの食材(鮮魚・青果・乾物等)が集まる卸売市場や問屋街として発展してきた60年も歴史がある商店街・市場です。色々な業種の卸売と小売の兼業が多い中、鮮魚などは卸専業で営まれ、夜中午前2:00頃から昼までで、一日の商売を終えるところもあります。「手つかずの昭和二十年代」が残る商店街・市場ともいえます。大規模な再開発をせず、昭和20年風情の商店群が大規模に残っている場所は、おそらく全国でただひとつ、この鶴橋だけとなりかなり希少価値がある場所です。
→ 大阪鶴橋にある市場、鶴橋市場。ここに行けばなんでも揃う。
野菜も魚も肉もその他様々なものまで。そして市場で働く人々は活気溢れるユニークな人達ばかりです。
そんな鶴橋市場はその昔、どうなっていたのか。どんなものが売られていたのか。
昭和20年風情の商店群が大規模に残っている、希少価値の高い大阪の鶴橋市場。
では実際の昭和20年代の鶴橋市場の様子はどの様になっていたのでしょうか?
さらにさらにディープな鶴橋ワールドへ ・ ・ ・ いざタイムスリップ。
鶴橋市場のもともとは、戦後の空き地跡の闇市、青空市場でした。
戦時中から続いていた統制経済下の当時、あらゆる食べ物と日常の生活用品は、配給でしか手に入れることは出来ませんでした。}
そのため戦時中でも一部では「闇の取引」が行われていましたが、そもそも白日のもとで、食料や日用品が自由価格で売買されることはありえませんでした。ところがこの闇市には、容易に手に入るはずのない食料品や日用品が並べられ、公定価格を笑い飛ばすような高値で売り買いが成立していたようです。配給制度による食料品だけを頼りにしていたら、誰もがほぼ間違いなく餓死していたからということのようです・・・・。
建物疎開と言われ、「空襲による延焼の拡大を防ぐために一定区域内の建物を取り壊して空き地にすること」が行われていました。
この鶴橋もその対象地域だったようです。以前からあった大規模な市場の大阪市中央卸売市場は空襲による被害は一部損壊ですんだものの、大阪天満卸売市場と木津卸売市場は空襲で全焼したようです。
そして終戦となり・・・・
終戦後この”空き地”に闇市が展開されていきました。下記場所は闇市から発展したところだそうです。
(関西)では、梅田(大阪駅前)、阿倍野、難波駅前、心斎橋筋、神戸、三宮、鶴橋、天神橋筋6丁目、上本町
(東京)では、新橋、新宿、渋谷、池袋、上野
今の繁華街と言われるところばかりですね。どこも当時のなごりは少しもありませんが・・・「鶴橋にはそのなごりがあるんです!!」
白米の握り飯、ふかしたサツマイモ、蒸しパン、みかん、野菜、鮮魚など当初は食べ物ばかりが目に付いていたようです。
当時、工場で働く日給は二~三円、買出しやブローカー(統制の為つかまる可能性がある)は三十円、小さな握り飯が十円、パン十五円。普通に働いていても、本当に喰うに困った時代の中での「闇市取引」だったようです。
続いては、昭和20年代の浜弥鰹節の様子、近鉄鶴橋駅に出入りしていた鮮魚列車って何?
まだまだ続く
昭和20年代当時の浜弥鰹節の様子は?
皆さん、鮮魚列車ってご存知ですか?まだまだディープな鶴橋市場をご紹介しましょう。
鶴橋市場のもともとは、戦後の空き地跡の闇市、青空市場でした。
昭和21年当時の鶴橋駅は、大阪最大の自由市場があり、サーカスや屋台もあり連日人々で埋まり、戦後大阪の新名所となりました。昭和25年ごろに広義の闇市時代はようやく終わりが告げられていきましたが、奈良・三重県下の小売業者・飲食業者が中心顧客となる問屋街として、繁盛をきわめるようになっていきました。近鉄沿線、特に奈良県下からの買出し人が大挙訪れていました。その理由は鶴橋が奈良に最も近い鮮魚の供給地であったからです。
近鉄東口改札口にやや近い「浜弥鰹節」(今でもあります)では一番電車の到着を従業員が戦々恐々の思いで待っていました。
電車から降りてくる買出し人がどっと店の前へ駆け寄り、指で注文の合図を出してゆく。指一本なら一貫、三本なら三貫。買出し人の求める品は人それぞれ決まっているため、指でその日の必要数を示せば注文終わり。声すらかけないブロックサイン。風のように店の前を過ぎ去っていく。店の従業員たちは数人がかりで大勢のお客さんの注文を読み取り、数分後に帰ってくるまでに商品を用意する。数時間ですべての買出しを終え、品物を積んで帰っていくお客さん。「時間との戦い」の日々が繰り広げられていたらしい。一番電車のお客さんのために、大量の「削り節」が必要な為、午前3時ごろから仕事。一日が終わるのが午後5時頃だったと聞いています。
本当に需要の多い食品「鰹節」だったようです。
その当時の主要移動手段は電車。鶴橋ならではの「近鉄の鮮魚列車」というものがありました。
(参考ホームページ)http://www6.ocn.ne.jp/~ul-next/sengyo/sengyo.html
買出し人と積荷(鮮魚等)の専用列車「鮮魚列車」(貸切列車)が一両、二両繋がっていたようです。最初は乗客も一緒だったようですが、魚をはじめ色々な食品のにおいや大きな荷物のため、乗客からのクレームにより「鮮魚列車」が誕生したようです。
鶴橋の商店街は私設の市場であるため、当然のことながら、公設の卸売市場に適用されるような業種制限は全くありませんでした。 全体の広さは大阪市中央卸売市場などに比べれば数十分の一。わずかな時間で多業種の店(約700店)を買い回れる点も便利です。なので、スーパーマーケットがまだ普及していない時代、地方の「よろずや」(総合食料品店)が仕入れに多方面から鶴橋に来られていたのですごく活気のある市場でした。
いかがでしたか?今も尚健在の鶴橋市場。一度足を伸ばして鶴橋ワールドを体験してみてはいかがでしょうか。最後に、当時の鶴橋市場の様子を写真でご紹介。
大阪「鶴橋《物語 藤田 綾子著 株式会社現代書館 (2005)
買出しの為のブリキ缶や竹かご
(近畿日本鉄道提供)
(鶴橋商店街振興組合提供)
(鶴橋商店街振興組合提供)
鶴橋丸小市場 | http://www.turuhasi-ichiba.com/ |
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鶴橋振興組合 | http://www.tsurushin.com/ |
橋人情市場 | http://www.turuhashi.com |
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【企画・運営】
浜弥鰹節株式会社 大阪府大阪市生野区鶴橋2-5-18
TEL:06-6731-4385
FAX:06-6712-8218
MAIL:info@katsuobusi.com
浜弥鰹節株式会社のサイトをご覧いただき誠に有難う御座います。
終戦後、大阪鶴橋にて父である先代社長が鰹節・削り節を製造・販売し始めました。敗戦し国全体の活力が失われていた頃、和の心を伝えようと、小さな店舗ながら取り組んで参りました。寝る間も無い慌しい日々でしたが、お客様とのふれあいが楽しく、私達もお客様から元気と勇気を頂きました。
あれから60余年が経ち、「体と心に優しいものを食べて欲しい」、「お客様に笑顔と安心を与えていきたい」という強い信念を今もこれからも持ち続けて参ります。